2008年5月21日水曜日

抽象的思考

かえる2号です。かえるが自分のブログに書いてたんで触発されて。

抽象的な思考はわかりにくい。確かに共感できる気はする。
まず、抽象的な思考の対象には名前を付けなければならない。(これが、自然言語による名前でない場合もあるが、現実の対象そのまま思考の対象にしているのではないという意味。)このとき、名前を覚えるのがめんどくさい。新しい学問を学ぶときに最初にしなければならないのが、この名前を覚えることだと思う。
次に、抽象的な思考の対象のふるまいを覚えなければいけない。これがないと抽象的な思考によって、何かを導き出すことはできなくなる。しかし、これもまためんどくさいし、数学などでは、これにかなりの時間を費やすことになる。

抽象的な思考は正確でない。これも個人的に共感できる気がする。
抽象的な思考を、現実の事例から一部の側面だけを取り出して思考することだと考えてみる。この場合、そうやって思考した結果は現実の結果にそぐわない可能性は大きいだろう。実際、物理学においては、計算能力的な理由で、自然に対して近似(つまり上の意味での抽象化)を行う。近似が荒い場合、現実と大きく離れた結果がもたらされる。こうみると、抽象的な思考は正確でないといえるかもしれない。
また、抽象的な思考の多くは、命題に量化子が付いている。つまり、「すべての~は」とか「~は存在する」が文章についている。これにより、現実の対象を考えずに思考することができるが、量化子が付いている命題を導き出すのは難しい。「すべての~は」というのは難しいので、条件を付けて「すべての~である~は」のようにすることが多い。この場合、思考では条件をつけ忘れたり、間違ったりして、間違った結果を導き出すこともある。まあ、これは抽象的な思考が正確でないというよりは扱うのが難しいということだけど、これにより抽象的な思考が正確でないと思われることはありうる。
さらに、ここで考えたような抽象的思考でなく、もっと一般的に抽象的思考といわれるようなもの、議論の相手を黙らせるために用いられるものの多くや、一つや二つの事例から「すべての~」としてしまうような思考は、不正確といえるだろう。

2 件のコメント:

かえる さんのコメント...

フィードバックは遅すぎても意味がない。そうやって自分に釘を刺しながらも今更コメントをつけさせてもらいます。

抽象的な思考が分かりにくい理由に関する2号の説明はものすごいわかりやすい。「思考に名前を付けなければいけない」「思考のふるまいを覚えなければいけない」、という二つの発想は考えたもなかったし、正直にびっくりした。

さて、問題は2点目。抽象的な思考は正確でないということについて。まず、ブログでは言葉の選択が相当乱雑だったので、その辺をまず訂正させてもらいます。
まず、抽象的な思考について。これは一般的に言われる抽象的な思考、すなわち概念的な思考という意味で使ってます。抽象的というのはそもそも「頭の中だけで考えていて、具体性に欠けるさま」という意味もあるので、誤解を避けるために概念的という言葉を使わせてもらいます。これにならって抽象的な=概念的、(個々の)抽象的な思考=概念という風に言い換えます。

さて、概念的な思考が正確でないという命題が一般的に成立するかというと答えは否であると考えられる。世の中に不正確な概念が数多く存在するのは事実であるが、しかし概念的な思考の本来の意義は個々の事象(具体的事象)から共通したものを抜き出す(抽象する)ことであり、それにより導き出される概念は様々な事象に適用しうるものである。
世の中では毎日様々なことが起きるが、これは普通様々な要因が重なって起きることである。例えばスーパーボールを思いっきり床に投げつけて跳ねているところを想像してほしい。スーパーボールは投げた人間の右に行くかもしれないし左に行くかもしれない。また、高く跳ねるかもしれないしほとんど跳ねないかもしれない。これらは全て床の材質、ボールの大きさ、投げる人間など様々な要因による。ここで、スーパーボールが今回右にはねたから「床にたたきつけられたボールは右に跳ねる」と言えば、それは具体的かもしれないが全くもって不正確である。この命題を正確なものにするには「床の材質が~~で、ボールが~~で、etc」数多くの条件をつけるしかない。

と、ここまで具体的な命題が必ずしも正確でないこと、また正確であったとしても扱いずらいことを長々と書きました。あとは抽象化とは何かを書くだけなんですけど、回りくどくなったので、後日書き直してもいいですか?苦笑

匿名 さんのコメント...

お疲れ~。こっちも返信してみます。

読んでいて思ったのが、たぶんかえると自分は考えている抽象と具体のレベルが違うということ。

本文書いた時点では、概念的な思考と量化子の付いた思考をほとんど同一視していて、具体的な思考は量化子の付いていない思考と考えていた。具体的な思考、命題というものは単なる事実に過ぎない、「平成何年何月何日にこれこれこういう場所にあったボールというものが壁に当たって右にはねた」というような命題になる。これに不正確さはあり得ない。概念的な思考はそこから帰納原理(条件AのときBが今までおこってきたなら、条件Aのときすべての場合でBがおこる、という感じのもの。あくまで感じ。)で「すべての~」などの量化子がつけられたりした命題になる。ここで、帰納原理を使ったところから、つまり「これこれの条件の上でボールは右にはねる」という命題になって初めて不正確さが出てくる。

かえるが具体的と言っていたのはたぶん、その風景が想像できるものなんじゃないかな。かえるにとっては化学の言葉を使って「ある時刻にある場所である形をしたゴム状の混合物と、ある状態の混合物(壁)との反発がこのくらいになった。」というのは概念的な思考で、それはこっちからみると化学の言葉を表記に使った具体だと思ってしまう。

でも、なんか書いてるうちに自信なくしてきた。カエルのいう抽象が何になるのかというのがわかればはっきりするのかな。目に見えない形ってこと?

あと、今書いていて思いついたこと。
概念的な思考は言語に大きく依存している。日常の言葉ではスーパーボールとしか言えないものも化学の言葉ではある化合物とある化合物をある割合で混合したものと言える。概念的な思考はすべてある「言語」であらわされ、その上で思考される。ならば、言語であらわせない条件や言語であらわすことをもともと想定していない条件などは無視され、概念的な思考の不正確さを導くことになる。
あ、ちなみにこの段落で概念的ってのがどういうものなのかはよくわかってません。本文で書いたのとも違うような気がするし、かえるのとも違う気がする。