2008年3月20日木曜日

こんにちは!

このブログのもうひとりの編集者、かえる2号です。主に普段考えなくてもいいけど、考えるとおもしろい(かもしれない)ことを考えてみたいと思ってます。早速ですが、今日電車に乗っていて思ったこと。ありきたりな結論ですが。

 人生において学問をやる意味を考えてみたい。
 何故学問をやるのだろう。学問は必ずしも人生に必要なものではない。有名になったり業績を上げて歴史に名を残すような小数は別にして、うだつの上がらぬ研究員や、日頃サラリーマンしていて休日に少しだけ学問をする意味はなんだろう。
 最大の理由は学問がおもしろいからだろう。では、何故面白いのか。
 人生における1番の楽しみは人とのコミュニケーションだと言う人がいる。全くその通りだと思う。実際この世で一人だったらと想像すると(哲学的な問題は置いておいて)気が滅入る。きっと淋し過ぎて気が狂ってしまうだろう。
 学問の面白さというのは人とコミュニケーションをとる面白さと同じだろう。書物を読むことは過去の人の話を聞くことだし、書物を書くことは自分との対話にもなり、もし後で読まれることがあれば未来へと話しかけることにもなる。学問について今生きている人と突っ込みあうこと(このブログのように)もできる。
 しかしこれは別に学問である必要はない。普通に会話するのも、音楽を聴くのも、スポーツをやるのもコミュニケーションに違いない。では、学問に特有の面白さはなんだろうか。
 学問の一番の特徴は、世界の別の見方を教えてくれるというところにあるだろう。これは学問の方法論とその成果を学ぶという意味で、どんな学問にも共通することだと思う。別に学問でなくても世界の見方を教えてくれるものはある。たとえばいい小説は、いつもの視点と違ったとらえ方を教えてくれる。だが、小説で世界の見方がないものがあっても、学問で世界の見方がないものはない。なぜなら、世界の見方はその学問の方法論であり、方法論がなければ(別に方法論が明確に示されてなくてもいい)学問はその体をなさない。
 つまり、学問に特有の面白さとは、世界を見る別の見方を教えてくれる点にあると思う。

4 件のコメント:

かえる さんのコメント...

こんにちはかえるです。ついに始動ですねー。とりあえず明日バイトで朝が早いので違うアプローチの提案(骨格のみ)ですー。

 俺もよく考えます。学問の意味。俺らはこんなことやってるくらいだから、結構好きな人間の類に入るんだろうね。名づけて学問ファン。笑 学問も他の物事と同じく趣味の域を出ないような気がする。これは直感。
 学問の意味を考える上でかえる2号の言うように楽しさって言うのは欠かせないと思う。ただ、もう一つのアプローチを考えるなら恐怖からの逃避という観点が考えられると思う。人間は何が怖いって、「分からないという状態」が一番怖いと思うから。
 とりあえず明日もうちょっと肉付けしようと試みます。今日はこれで勘弁m(_ _)m

匿名 さんのコメント...

恐怖からの逃避か~。でも、勉強すればするほど分からないことが増えてる気が…。分からないって意識することが問題なのかも。とりあえず、眠いから寝ます。

かえる さんのコメント...

 以下もろに私見です。しかも話が最後の最後でずれてる気がしてきた・・・

 とにかく人間は分からないもの・こととか「分からない」という状態をとことん嫌がる気がする。ギリシャ人とか日本人がいろんな神様(もしくは妖怪とか)を作って自然を説明しようとしたこととかは、その現われだと思う。どんなに訳が分からない説明であっても、全く分からないよりはずっとマシっていう意図が昔からあるように思う。
 で、そんな人間の本能的なものを「分からないものに対する恐怖」って名づけるなら、学問も恐怖からの逃避という見方が出来るかなと思ったわけです。

 確かに学問には楽しみを求めるという、いわば趣味的な要素が相当強いけれど、それ以前に人間の欲求に裏打ちされた絶対的な需要がある気がするんですよねー。あ、これは世界説明に対する需要の話です。説明するものは宗教でも小説でも学問でも、なんでもいいのであろうということも付記しますー。

匿名 さんのコメント...

 需要って欲ってこと?欲なら確かに誰でも持ってるし、きっと欲かいてるほうが長生きできそうな気がする…憎まれっ子世にはばかりみたいな…

 最初の投稿で学問の特徴を世界の別の見方を教えてくれる点としたけど、それも人とコミュニケーションをとるってことと本質的に同じだった。世界の見方を知るっていうのは、他人の目から世界を見ることができるようになるってこと。
 それはやっぱり芸術一般と共通することだけど、学問が違うのは積み重ねがあるってことかな。歴史の中でたくさんの人が積み重ねていったものだから、同時にたくさんの人のものの見方を手に入れることになる。特に理系の学問をやっていると思うんだけど、一冊の本の中に過去の遺産というか昔の人ががんばって作ってきたものの見方がたくさんある。すごい(科学だったら現実の実験結果に当てはまりやすいとか。意味はぼやかすけど。)世界の見方のオムニバスみたいな感じ。
 でも、これも芸術一般に無いといえばうそになる。学問は言語を使うって言っても、科学は数学の言葉を使うし、これからまた使われる言葉や枠組みが変わることだってあるだろう。音楽だって、絵画だって言葉でないとは言い切れないし。この方向から学問をほかの芸術と明確に区別するのは不可能かも知れない。そもそも区別が目的じゃないんだけど。